TOP | 信長年譜  天文時代
西暦 年号 信長年齢 信長所在地 事績/日 事     項
1534 天文 3年 1歳 尾張勝幡城 誕生 尾張勝幡城主織田信秀の次男として誕生。
吉法師 童名は吉法師。[織田公記]
乳母池田氏 大御乳さま 池田恒利の妻(善徳院)が乳母。善徳院はのちに大御乳さまと敬称された。父の信秀は那古野城を吉法師に与える。
1542 11年 2-9歳 那古野城に移る4人の宿老 宿老として林秀貞・平手政秀・青山与三右衛門尉・内藤勝介の4人を付けさせる。信秀は翌年に古渡城を築き居城としたという。[織田公記]
1543 12年 10歳 那古野居城 5月1日 信秀朝廷に献金 父の信秀、平手政秀を名代として朝廷へ御所の築地修理費用として千貫文を献上する。
1544 13年 11歳 9月22日 信秀大敗北 美濃の稲葉山城に斎藤利政(道三)を攻めるが利政に撃破され大敗北を喫する。
1546 15年 13歳 元服 三郎信長 元服して「三郎信長」を名乗る。[織田公記]
沢彦宗恩の選定 実名の選定を依頼された禅僧の沢彦宗恩は、他日国家を掌握する目出たい名前として「信長」を選んだという。
1547 16年 14歳 三河吉良大浜へ初陣 初陣として、駿河今川義元方の三河の吉良大浜城攻略のために出陣。[織田公記]
信秀末盛築城 父の信秀、古渡城を破却し新たに末盛城を築き居城としたという。[織田公記]
1548 17年 15歳 11月頃 織田・斎藤同盟 信秀と美濃の斎藤道三の間に和睦が成立。[織田公記]
信長が斎藤道三の娘濃姫を娶ることになる。この婚姻は傳役の平手政秀の才覚によるものであった。[織田公記]
1549 18年 16歳 2月24日 濃姫と結婚 斎藤道三の娘濃姫(帰蝶)が信長に嫁ぐという?
11月9日 安祥城陥落 駿河の今川軍を率いる太原崇孚、三河安祥城を陥落させ城主の織田三郎五郎信広を捕える。
信広と竹千代交換 ついで、尾張に抑留されている松平竹千代(のち徳川家康)と信広を交換する。[創業記考異]
11月 藤原信長 信長文書の初見 熱田八ヶ村中に制礼を下し「藤原信長」と署名する。尾張国熱田神社へ全5ヶ条の制札を下す。
1550 19年 17歳 11月1日 備後守信秀 父の備後守信秀、祖父江金法師に祖父大膳亮の跡職相続を許す。
12月23日 信長、尾張国密蔵院へ笠寺別当職は織田信秀判形の通りに、知行分の賽銭・開帳については寺内の裁量とするよう命令。
1552 21年 19歳 3月9日 信秀没 一. 一、父の備後守信秀が流行の悪病にかかり末盛城で没した。享年41歳。
信秀の没年は「万松寺開山の大雲和尚法語」「万松寺過去帳」「定光寺年代記」の記載による。
1551 20年 18歳 3月3日 信秀没 二. 二、備後守信秀が「疫癘」のため没す。
法名は万松寺殿桃岩道見大膳定門という。家督は信長が継ぎ、弟の勘十郎信勝が末盛に入城した。「信長公記」
土田氏の没年 信秀の正室土田氏は文禄3年1594年正月7日に没した。法名は報春院花屋寿永大膳定尼という。
文禄3年1594年は1月1日羽柴秀吉、大坂城において諸大名の参賀を受ける。
1552 21年 19歳 反信秀派挙兵 尾張国内の反信秀派の行動が活発となる。
鳴海城主の山口左馬助・九郎二郎父子が駿河の今川義元に寝返り、駿河衆を先導して信長領内に進入。
山口左馬助は中村まで進めていた。
4月17日 赤塚の戦い 信長八百の兵と山口左馬助・九郎二郎父子千五百の兵と数刻に渡り激戦を繰り広げるが勝敗は決せず。
信長、その日に帰城(那古野城)する。[信長公記]
8月15日 守護代織田彦五郎信友家宰坂井大膳らが、松葉城の織田伊賀守を人質にとり、信長に反旗をひるがえす。
萱津の戦い 翌日、叔父の織田孫三郎信光(守山城主)の援軍を得て萱津で坂井大膳らを撃破。ついで、松葉・深田両城を占領して、守護代家の清洲城を孤立させる。[信長公記]
10月12日 知多郡と篠島の商人の守山往還を認める。
10月21日 織田玄蕃允秀敏(大叔父)に中村方三郷を安堵する。
12月20日 熱田の加藤全朔・紀左衛門尉に徳政などを免除する。
1553 22年 20歳 閏1月13日 平手政秀自害 傳役の平手政秀、信長を諫めて自殺する。信長は政秀を弔うため政秀寺を建立した。[信長公記]
大うつけ 開山には沢彦宗恩を招いた。
4月下旬 斎藤道三と会見 道三と濃尾国境に近い富田の聖徳寺で会見する。織田・斎藤の同盟関係はさらに強くなったであろう。
7月12日 守護斯波義統殺害 守護の斯波義統、守護代織田彦五郎信友と家宰坂井大膳に殺害される。[信長公記]
12月 神主兵部少輔へ借銭・質物は天文9年以前の分に関しては織田信秀判形に任せ免除。
1554 23年 21歳 1月 駿河の今川勢、尾張に侵入して村木に砦を築き緒川の水野信元を攻める。信長、援兵を斎藤道三に求める。
1月20日 村木城攻略 道三の武将安藤伊賀守守就が兵千を率いて着陣。
1月21日 那古野を出陣し熱田に泊まる。
1月22日 暴風雨の中を知多半島西岸に渡海して緒川に着陣する。
1月24日 明け方に出陣し、村木城を陥れる。
1月25日 那古野に帰城する。
1月27日 道三は安藤守就の一部始終報告を受け、「すさまじき男、隣にはいやなる人にて候よ」と言ったという。
清洲居城 4月20日 清洲城奪取 織田信光、「守護代」織田彦五郎に自刃させ尾張国清洲城を乗っ取り、これを信長へ譲渡。織田信光は信長より尾張国那古野城を受け取る。[信長公記]
11月16日 祖父江秀重に俵子船一艘の諸役免許状を与え、「上総守信長」と署名する。[永室四郎氏所蔵文書]
11月20日 経営基盤の安定 安斎院に寺領等の安堵状を与え、「上総守信長」と署名する。
11月28日 叔父信光殺害 叔父孫光三郎、那古野で家臣の坂井孫八郎に殺害される。宿老の林秀貞に那古野城を守らせる。[定光寺年代記・信長公記]